武術探究の旅~忍者1~
忍者・忍術(忍法)編
「忍者」の起源について
忍者の起源については諸説いろいろありますが、
「孫武(紀元前535年 ~?)」の兵法書(孫子)にて、
「間者(間諜)」について表記されていることから、
この時代には既に忍者のような組織(人)が存在していて、
間者(忍者)の情報収集能力が、
戦争の勝敗に大きく関わっていたことが分かります。
インド起源説
「傀儡子(くぐつ し、かいらいし)」を忍者の祖として、
傀儡子やジプシーがインド発祥であることから、
忍者の「インド起源説」があります。
中国起源説
不老長寿の薬を求めて「秦」から「日本」に来た、
方士・「徐福(紀元前3世紀頃)」が伝えたとするものや、
この時、徐福とともにやって来た技術者など数千人(3000人?)の人々が、 一説には「秦氏」のルーツとも言われています。 (「徐福」縁の地として「佐賀県佐賀市」等があります。)
「遣隋使」の「小野妹子(おののいもこ・?)」や、
「遣唐使」の「吉備真備(きびのまきび・695年~775年)」が、
大陸より持ち帰ったものを起源とする説もあります。
日本起源説
「天照大神」の孫の「天忍日命(あめのおしひ)」の曾孫である、
「道臣命(みちのおみのみこと)」は日本で初めての、
「(妖?)術」の使用者であることから、
忍者の祖といわれ「大伴氏」の先祖とされています。
「天忍日命」を祀ってある神社に、 矢保佐神社(長崎県壱岐市)、降幡神社(大阪府南河内郡河南町)、 上社(三重県伊勢市)、油日神社(滋賀県甲賀市) などがあります。
次に「聖徳太子(しょうとくたいし・574年~622)」が、
「志能便(しのび)」として用いたとして、
「大伴細人(おおとものほそひと・?)」や、
「秦河勝(はたのかわかつ・?)」、服部氏族などがいますが、
大伴細人が「甲賀忍者」の、秦河勝が「香具師(ヤシ)」の、
服部氏族が「伊賀忍者」の、それぞれルーツといわれています。
また、「蘇我馬子(そがのうまこ・?)」は 「志能便」とは違う、
「アサシン」として 忍者(仮)を起用ていたといわれています。
独自の考察
私は、「遣隋使」が「志能便」の技術を中国より持ち帰り、
それを発展させたのが「忍術」ではないかと思います。
また、
「志能便」の技術とは「少林七十二芸」で有名な、
「軽身功」の類と思っています。
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